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「My Fair Lady」

Alto:藤田 玲子


 「My Fair Lady」の曲を聞くと私は必ず母校の音楽室を思い出してしまう。

 我が母校である春日丘高校では昔から年に1回、音楽選択者によるコンサートが行われていた。1年生は合唱曲、2年生はミュージカル、最後に合同ステージとして我が校の吹奏楽部約70名と音楽選択者約400名による大合唱。音楽を選択した者達が1年をかけて作りあげるコンサートである。そのコンサートで2年生の時にクラスの仲間と作りあげたのがミュージカル「My Fair Lady」だった。2時間以上あるこの作品をコンサートの都合上30分程度に縮めてしまうので、いってみれば有名な箇所の拾い集めである。それでも50名近くいるクラス全員で作っていく段階が非常に楽しく今でも強く心に残っている。

 私の高校は一見コンクリート校舎の様だが、中は75年間生徒の足でこすられてツルツルになってしまった廊下を持つ木造校舎だった。あらゆる所が朽ち、中でも音楽室はものすごかった。メインの部屋には、入ると穴に足を取られて転んでしまう床をはじめ弦が切れて鍵盤が外れている2台のグランドピアノ、少し力を入れて弾くだけで2段ほどガガッとずり落ちてしまう椅子などがあった。そしてパート練習用にある4つの個室にはアプライトピアノがあったがこれもまたグランドピアノ同様凄まじかった。個室の壁は剥がれ落ち、練習をしながら皆が弄りまわすものだからますます広がり、その穴に私物まで置けてしまう程だった。そんな中でも練習は練習。歌って踊って穴にはまって怪我をする。雛壇の代わりと言っては机の上に椅子を積み、積み上げながら感じていた不安の通り椅子ごと崩れ落ちる。ただ歌い、ただ動くだけの練習で出来る数々のあざ。見ていて痛々しかった。私自身は入学してから卒業するまで伴奏を務めていたので(一緒に歌いたい、踊りたい)という気持ちになったこともたびたびあったが、皆が歌い踊っているのを距離をおいて眺められるという伴奏者の特権を充分に使わせてもらった。今思い返してみてもハチャメチャな事だらけで落ち着いて練習など出来てなかったような気もするが本番は高校生として出来る力の限りを尽くしたコンサートに仕上がっていたと思う。

 そんな素晴らしい3年間を過ごした木造校舎も近々コンクリートになるらしく、歯抜けピアノも我が校の卒業生である槙原敬之が贈ってくれたというピアノに姿を変えてしまった。しかし、それらのおかげで当時の思い出は月日が経つほど私の中で輝きを増している。古き良き時代の音楽室よ。皆が忘れても私は忘れないと誓おう。

 あぁ、我が青春よ、永遠なれ!!