「私流の思い出の曲」
思い出の曲......、うーん考え出すときりがない......、じゃ、なんで〆切過ぎるのっ!!とほほ、では、まあ私流に
1.「骨まで愛して」
小学校3年の夏に生まれてからずっと住んでいた北九州の八幡から、福岡県遠賀郡の芦屋町に引越しました。進駐軍撤退の後に、航空自衛隊基地となった玄海灘に面した町で、八幡とは雰囲気が大きく違い、アメリカ風の町並みが多く見られました。転校直後のクラスでの自習時間に、それまで全く興味のなかった歌謡曲の世界に引き摺り込まれるはめになってしまいました。自習時間恒例(らしい)のど自慢大会が始まったのです。
クラスの半分ほど(たしかほぼ全て男子)が橋幸男、舟木一夫、西郷輝彦、三田明その他当時人気の諸々の歌手になったつもりで、教壇で十八番を歌うのです。(今考えると恥ずかしい。でも歌えないと村八分になりそうな雰囲気。ま一緒に遊ばなくなる幹事かな。)
私の十八番が何だったかは忘れましたが、この「骨まで愛して」は最初に友達になってくれた友人が十八番にしていたので、当時の印象を思い出させる曲です。
2.「オールドファッションラブソング」
深夜放送を聞ける様になった中学時代はラジオのポップスに染まりました。歌謡曲よりおしゃれな世界と感じて、ちょっぴり大人になった気分でした。恋の片道切符なども......
3.「22歳の別れ」
高校2年の時、今も無二の親友であるF君からガットギターを譲ってもらう時にF君が弾いてくれた曲です。あまりにおなじみの曲ですが、私のフォークへのきっかけ(のはず)の曲です。グレープ、吉田拓郎、バンバン、その他大勢。さらに、なぜか「涙君さよなら」が忘れられないフォークソングのひとつです。「バラが咲いた」と同じラインの曲ですが、あまり取り上げられないのはなぜ?
4.「UFO」
大学3年の(冬?)、鹿児島出身のS君と2vs2の合コンをして、いい気分でバス停のベンチで4人でメドレーをやった事を思い出します。S君はキャンディーズメドレーの十八番があったのですが、女の子の方がピンクレディーOKだったので盛り上がったのです。
5.「岬めぐり」
大学を卒業後、大阪の会社に就職。地方出身者の中間(鴻池グループ)は奄美大島出身のI君を中心として毎夏、生みへ繰出すのが恒例でした。入社1、2年の時の海だったと思いますが、丹後半島の海沿いを車を連ねて走っていた時、まさにぴったりのシチュエーションで「岬めぐり」です。たしか、失恋後間のない頃でしょう、なんか涙がにじんでました。
6.「火の鳥」(おお、やっとA氏の曲が......)
歌いながら「いのち」について考えさせられる曲で、時間がたった今改めて聴くと涙腺が緩んじゃいます。だから、めったに聴けないが......。
ぼい関連の曲が、1曲??他にも色々あるんですが、紙面も尽きそうだし、西牧さん、すんませ~ん