「すりこまれた『カルメン』『魔王』」
誰もが知っているであろう、かの有名なオペラ「カルメン」。私は小学校5年生の時、初めて観たオペラがこの「カルメン」であり(ドン・ホセを山本裕之先生が演っておられました)、中学校1年生の時、宝塚市民音楽祭で「少年少女の合唱」を歌い、それ以降も何かと耳にする機会が多く馴染み深いものとなっています。にもかかわらず、いやそれだからこそ、聴く度に感じるかすかな違和感---そう、歌詞が違う!
原語上演流行りの昨今、こういう思いに駆られることは減ったような気がしますが、すりこみというものは本当に恐ろしい。しかも殊「カルメン」に関しては、最初に「観た」ものと「歌った」ものの歌詞が一緒だったことから、私のすりこみが完璧なものになってしまいました。つまり私にとって、子どもたちの合唱は「♪兵隊さんと一緒に 僕らは進む ラッパは響くよ タラタッタ...」でなければならないし、『ハバネラ』の中間部は「♪恋はわがままで好きなことだけをする あなたがいやでも私は好きなの...」となるはずだし、闘牛場の合唱は「♪闘牛士は一番後から出てくる そして猛る牛の息を絶つのだ おおエスカミーリョ おおエスカミーリョ ああ万歳...」と盛り上がるはずなんですが。違う時があるんだなあ、これが。と言うより、最近は違うのしか聴いたことがない。その度に違和感が先に立ってしまい、今ひとつ音楽に集中できた試しがありません。
もうひとつの重大なすりこみはシューベルト作曲「魔王」。私が最初に聴いたのは現代日本語訳で「♪坊や一緒においでよ 用意はとうにできてる 娘と踊ってお遊びよ 歌っておねんねさしたげる いい所だよさあおいで」と、中学2年生の文学少女が頭にたたきこむには実に楽チンな詩でした。ところで、この時の音楽の先生は「魔王」の鑑賞にあたり、私たちに三種類のレコードを聴かせました。1つはこの現代日本語、そして原語であるドイツ語、今ひとつは古典日本語(?!)。私の耳には一番楽なもの、つまり現代日本語が張りついてしまったのですが、三種類の「魔王」を同時に聴いた原体験のおかげで、別の歌詞がついていても「カルメン」ほど苛々することはありません。
時々「日本語の歌詞をつける」という楽しいお仕事を頂く度に、嬉しいと同時にこれら2つの曲のことを思い出し、武者ぶるいのようなものを感じてしまうのです。母国語の影響たるや、原語の比じゃないんだから...。私のつけた「母国語」の歌詞を歌ってくれた人たちは、今後その曲にどんな印象を持って接していかれるんだろう...。