「マーラーは初恋の香り」
巷間、貝澤といえば「鉄」で通っているようである。確かに間違いはないのだが、さて「これを聴けば思い出す」が貝澤の番だといって、「どうせ電車に関係する曲ばかり書き立てるのだろう」などと邪推しないでいただきたい。
無論、鉄ネタで書こうと思えば書けるのであって、僕は殆どクラッシックしか聴かないからそちらのジャンルから拾ってみると、「鉄」クラッシックの定番:オネゲルの「機関車パシフィック231」、ヴィラロボスのブラジル風バッハ第二番の第四曲「カイピラの小さな汽車」といった曲、鉄道ファンだったドヴォルザーク、柴田南雄、(前述のオネゲルも)、そして模型で鉄道を楽しんでいたヒンデミット、といったネタはすぐ出てくる。そのほか、現在世界最長老の指揮者朝比奈隆がかつては阪急電車の運転手だったとか、東混の常任でもある岩城宏之は子供の頃、特急「つばめ」がなくなるというので小遣いをはたいて乗ったなんて演奏家ネタもある。
しかし、こんなことを書いても誰も読んでくれないだろうから、今回は鉄ネタはやめにしてまともな曲について書こう(既に鉄ネタを書き尽くしてしまったという説も...)。
さて、僕は今合唱団に所属し、合唱が好きで、合唱を楽しんでいるわけだが、僕と合唱を結びつけるきっかけとなった曲がある。中島みゆきの「時代」(薬師丸ひろ子Version)である。クラッシックしか聴かない僕が、中島みゆきの、しかも薬師丸ひろ子Versionなどという曲を挙げるのは奇異かもしれないが、こういう事情である。
僕の通っていた三重県立上野高校では、毎年秋の文化祭の行事で、クラス対抗合唱コンクールというのをやっていた。毎年、1、2年生はてきとーに済ませるのだが、3年生は高校時代最後のイヴェントということで、かなり熱く取り組んでいた。僕が3年のときも、所属クラスでは上位成績を狙おうということでまとまり、練習することになった。曲は課題曲と自由曲があり、課題曲は「小さい秋見つけた」と「アメリカンフィーリング」であった。わがクラスは、課題曲では「小さい秋見つけた」、そして自由曲には「時代」を選曲した。それが、この薬師丸ひろ子Versionだったのである。
コンクール予選の結果は、わがクラスは5位。予想外に低い順位となり、屈辱感が一瞬漂ったが、2日後の本戦に向けて練習を重ねた。その甲斐あってか、本戦では金賞こそ逃したものの、堂々の銀賞と相成ったのである。
ただし、銀賞とはいっても、合唱ド素人の集まりであり(わが校には、合唱同好会は存在したものの、人数が少なくてまともな活動はしていなかった)、技術的には極めて稚拙なものである。今、実に久しぶりに当時の録音テープを聴いているのだが、喋り声のまま歌っていて、観賞用としてはとても聴くに耐えない演奏である。当時、コンクール終了後に音楽担当教諭が、総評として「もっと合唱の発声の基本をきっちり整えて...」という辛口の意見を言っていたのも無理はない。
しかしながら、本番2週間前に初練習、しかも指揮者も歌い手もみな素人という状況では、発声の基本からすることなだ、不可能である。それに、音楽的にはともかく、今どきの高校生(9年前の「今どき」ですが...)がひとつの目標に向かって熱く努力する。という貴重な場であっただけでも、十分な意義はあったと思う。おまけとして、副次的な成果ながら、この合唱コンクールを(間接的にしろ)きっかけとして合唱の世界に入った僕みたいな人間もうまれたことだし。
そんなわけで、高校時代最後の”青春的”イヴェントで歌った「時代」は、僕の高校時代には珍しく熱い経験だったこともあり、深く印象に残ることになった。後に大学合唱団で指揮者を務めたときに、地方の中学校をまわった演奏旅行のトリを飾る曲にこの「時代」(ただし、別アレンジ)を、高校の頃の思い出をノスタルジックに重ね合わせて振ったこともある。
だいぶ長くなってしまったが、もう一曲おつきあい願いたい。
G.マーラーの交響曲第3番ニ短調より、第6楽章である。
マーラーの第3シンフォニーは、全曲演奏するのに90~100分もかかる大作である。この曲を初めて聴いたのは、先ほどの合唱コンクールと同じ年、高校3年の8月、FMラジオでだった。クラッシックにのめりこみだした時期で、いろんな曲をエア・チェックしていた。このマーラーの3番も、未知の曲ながらテープに録音してしたのである。しかし、長い曲ゆえテープ反転がうまくいかず、曲がとぎれて録音されてしまった。とりあえず、録音を続けていたが、どうもよく分からない曲だし、消去してもいいかと思いかけたその時である。
この上なく美しい音楽が聴こえてきた。弦楽合奏を主体としたその音楽は、切ないまでに美しい旋律を、ゆっくり、ゆったりと息づかせながら進んでゆく。いっぺんに虜になった。この長いシンフォニーの終曲である。この楽章だけでも25分ほどかかるが、本当に美しい音楽である。
中学・高校と、密かに想いを寄せていた女の子がいた。口をきいたこともなかったのだが、整った顔立ちの、清楚な美しさをもった子だった。高校卒業時、もう機会がなくなってしまうと考え、思い切ってラヴ・レターを出した。もちろん、話をしたこともない人間を受け容れてくれる筈もなく、切ない初恋として心に残ってゆくのだが、彼女は僕を全く無視したわけではなく、相手を傷つけまいと気遣った手紙を送ってくれたのだった。その手紙を、マーラーの第3シンフォニーのフィナーレを聴きながら、何度も読みかえした。この曲には、だから、初恋の甘い香りがたっぷりとつまっている。