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「ベートーベン op49 No.2
黄色い帯のソナタのアルバム1のNo.12」

Sop.:植井 優子


 これはたしか5年生のときに練習していた曲だと思う。

 私が3歳の時から通っていたピアノの山田やす子先生の家は、帝塚山といってチンチン電車の「姫松」という、いやに優しい名の駅、コーヒーの香りのする街にあった。

 ガラスの破片がさしこまれたこわい「へい」以外は、先生の家は私の思い出のところ...。緑の芝、コイのいる池、チューリップ、隣の家の悪がきたち、いい香りのする外国製のせっけん、ピンクの洗面台、ししゅうしたクッションがズラーとならんでいる10人座れる位の長イス、ピカピカの2台のグランドピアノ、2階の先生の寝室のダブルベッドとグランドピアノという変な組み合わせ、そして西向きのなつかしい女中部屋。

 私たち小さい子はたいてい「2階ね」といわれる事が多かった。たまに1階で山田先生にばったり眼があってしまって「ここで」なんていわれるといやーな気がしたものだ。静かにソファに座って人の練習を聞くか、楽譜を見るか、本箱の下の引出しから出てきた音楽プリントをしなければいけないからだ。あれが苦手で、私はいつも山田先生が生徒を熱心に教えているときが来るまで、くつを脱がずにずーっとスキをうかがって、先生の後ろをソっとすりぬけると二階にあがっていくという術を身につけたものだった。

 二階の部屋の思い出が1番幸せな思い出だ。

 小さな西向きの細長いこの部屋は、修道女の部屋のように飾り気のない木張りの床の部屋で、奥にあるきっちりカバーをかけられたベッドだけがやわらかいもので、あとはアップライトピアノ、本箱、西向きの窓に沿って作り付けられたベンチのみしか置いてなかった。たぶん女中さんか書生?お弟子様の部屋なのだろう。

 先生のイスに近いほどピアノに座る番の早い人で、戸口に近い人ほどあとから来た人でこのベンチの端にいるほど本箱にある岩波の本が読める幸せの席である。私はもうここに7年も通っていて、何十回いや何百回も毎週毎週みているというにもかかわらず、またしても本の世界にひきこまれていくのである。

 1階から聞こえてくるピアノと、この部屋のピアノと、黄色く感じられる西陽とオットセイやサル、小さな家、サルタン、お姫さま、マリーちゃん、ちびくろサンボ、子ブタがグルグル頭の中で回りはじめる。その片すみで、
 「よく練習しておいてねっていわれたのにできてない楽章。自分でもよくやってないってわかってるからつらい。でも今日あがっても、次の所をまったくはじめてやるのはもっとつらい」などと考えながら...。

 ランドセルせおって帰り道。カタコト電車でゆれながら、「あーピアノの順番におびえないで、あの部屋で1度、思いきり本を読んでみたいものだ。..。」などと考えながら、家路につく優子なのでした。