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西牧 潤のIRON MAN

(「Voice of ぼいす」第30号より)
西牧 潤

1997年12月に甲南大学グリークラブが作った「スーファンメールコール~97年リサイタル特別号~」に載っていた記事がとても面白かったので、西牧さんの承諾を得てそのままVoiぼいに載せてしまいます。図の位置を一部変更しています。


"鉄"人、西牧 潤の誕生

後で書きますが、ドイツでは鉄道は大人から子どもまで家族で楽しめる遊びとして認知されていますが、なぜか日本では一部の性格の"暗い"人たちの道楽とされているのか不思議です。鉄道ファンのことを自嘲の意味を込めてなぜか"鉄っちゃん"とか"鉄"とか言います。口の悪い人たちは私たちのことを"鉄い人"と呼んだりもします。

僕の家から歩いて30メートルほどいったところにJR東海道本線が走っていて、それこそ、夜中に走る貨物列車の振動で我家に泊まりにきた人が飛び起きるほどの近さでした。

僕の生活はJR(かつては国鉄)の列車がレールの継ぎ目を刻む音とともにあるといっても過言ではありません。

当時、まだ新幹線がなかったころ、東海道・山陽本線といえば日本の大動脈でしたから、大阪から九州・山陽方面へ向かう特急や急行、四国連絡の準急、中国・山陰方面へ向かうディーゼルの準急・急行など、一日見ていても決して飽きないほどさまざまな列車がひっきりなしに走っていました。中には大阪から門司へ向かう機関車が引っ張る普通列車などもあったんですよ。そして、特急・急行・準急にはそれぞれ名前がついていました。「つばめ」「はと」「みどり」「月光」「かもめ」「しおかぜ」「しおじ」「うずしお」「ゆうなぎ」「宮島」「とも」「鷲羽」「おき」「みささ」「かいけ」「さつま」「高千穂」「ながと」「関門」「玄海」など覚えているだけでもまだまだあります。今のように同じ方向に向かう列車を「ひかり○○号」という具合に片づければ簡単で合理的ですが、一つ一つの列車に別の名前があるというのもなかなか味があります。小学生のころは大阪や神戸に行くのもちょっとした旅行気分でしたが、中学生になって自由に電車に乗れるようになると、僕のフィールドは大阪駅へと移りました。入場券を一枚買って一日中カメラを持って駅の中を走り回ったものでした。もう新幹線は西へ伸びていましたが、それでもまだ特急や急行が大阪駅のホームを賑わしていました。当時は福知山線はまだ電化も複線化もされていませんでしたから、福知山方面へ向かう列車の中に蒸気機関車が引っ張る列車が何本か残っていました。ちょうどSLブームが起ってきたころなのですが、どういうわけか、みんながSLを追いかけはじめたころ、僕の鉄道への熱はすーっと醒めていったのです。

ドイツ新幹線ICE

音楽との出会い

訳は簡単です。音楽が決して嫌いでなかった僕は、友人の誘いで高校に入ってコーラス部に入部しました。結構厳しいクラブで、水曜日と日曜日以外は毎日練習がありましたし、夏休みもほとんどクラブ活動で埋め尽くされました。もっとも、この3年間があったからこそ、いまでもこうして音楽と付き合っていられるのですが・・。あとはご存知の通り、甲南に入ってもグリークラブ漬けの"5"年間、そして大学を卒業してからもしばらくは鉄道の楽しみといえば、電車に乗ったときの「運転台後方かぶりつき」くらいでした。

再び"鉄"分の多い生活へ

はじめて海外旅行へ行ったのはイタリア。アドリア海に面したファーノという街の国際合唱祭に行った時のことです。飛行機の乗り継ぎの関係で、僕は一人でミラノからスイスのチューリッヒまで列車の旅をしました。一室に6つの座席のあるコンパートメントでしたが、同室になったのはスイス人のおばさんと二人。日本のことを色々たずねてくるので、こちらも片言の英語で春になったら桜が咲くとか、梅雨は雨ばかり降ってじめじめしているとか、冷や汗をかきながら説明しました。チューリッヒの駅に着いて列車をおりる時意を決して"Gute Reise!"(グーテ・ライゼ!・・よいご旅行を)と言ってみました。おばさんもにこっと笑って何やらひとこと。意味はわからなかったけれど、とりあえずこちらの言ったことは通じた!これでぼくの海外旅行に対する恐怖感はひとまず消えたわけです。

日本の鉄道は世界一か?

時速200キロメートル以上で走る列車が5分間隔で1分の狂いもなく走る国は日本以外にはどこにも見当たりません。それだからといって日本の鉄道が世界一だとは言い切れないでしょう。おもしろい話があります。遅れるので有名なイタリアで珍しく列車が定時に来たな、と思ったら実は丸一日遅れだったそうです。

鉄道は移動のための手段ですから、僕のように「鉄道に乗るためにどこかに行く」のはごく限られた人なのでしょう。しかし、「どこかへ行くために鉄道に乗る」のであっても快適であるにこしたことはありません。

僕の大好きなドイツの列車たち

ドイツは日本のように東京、大阪、名古屋といった大都会がある訳ではありません。ベルリンは別としても、以前の首都であったボンは小さな町ですし、フランクフルト、ミュンヘン、ハンブルク、シュトゥットガルトなど日本でいえば中規模の都市が点在していて、(それぞれの街の中央駅から電車で15分も走ればそこはもう田舎・・という風情です)それをドイツ鉄道(DBAG)がくまなく結んでいます。日本のように新幹線が背骨のように1本あるだけなら簡単ですが、ドイツはクモの巣状に鉄道網がありますから、自然と乗り換えの数も多くなります。よほど頭のいい人がダイアを考えたのでしょう。乗り継ぎの駅では接続がきちっとできているのです。ただし、日本のように「1分も遅れない」ということはありません。2~3分くらい送れるのはざらで、5分以上遅れると駅の電光掲示板に「○分くらい送れます」と表示が出ます。この2~3分というのが何とも人間的ですね。「列車を動かしているのは機械と時計ではないよ!」とでも言っているようです。合理的なドイツ人が考えたもっとも合理的な列車がドイツ新幹線と呼ばれる「ICE」(インターシティーエクスプレス)です。新幹線とはいっても在来線と線路の幅は一緒ですから、普通の線路を通勤電車たちと一緒に走るところも多いのです。日本の山形新幹線や秋田新幹線と同じシステムです。編成の中ほどに食堂車がありその片側に一等車が3両もう片側に二等車が10両そして両端に機関車が1両ずつという長い編成です。

参考までに日本の新幹線とICEの車内の図を見てください。ICEはご覧のように、コンパートメント(個室)とオープンサロン(開放室)があり、 開放室にもテーブルがついたものがあったりします。つまり、家族やグループで旅行するときはコンパートメントを予約したり旅行のスタイルによって座席を選べるようになっています。一等車でも二等車でも同じです。1両の長さはともに25メートル余りでほとんど同じですが、1両あたりの定員はJR新幹線のグリーン車が68名なのに対してICEは48名です。どれだけゆったりしているかおわかりいただけると思います。これは輸送力の需要の差であることは言うまでもありませんが、窮屈な座席に縛られたように大阪から東京に移動させられる我々にとっては、ICEはくつろぎの空間です。お隣の国フランスのTGVはというと、コンセプトは新幹線的なのです。速さではICEは一歩譲っていますが、快適さや旅行の楽しさの演出という点ではICEがうんとリードしていると思います。

ドイツに限らず、ヨーロッパの鉄道の座席はやや固めにできています。これはフォルクスワーゲンやベンツの思想と同じです。つまり、長時間座っていたときに疲れないようにできています。ICEのゆったりした座席に腰掛けて、R1(ドイツの代表的なタバコで"エア・アインス"といいます)をくゆらせながらコーヒーを飲み、 (車掌さんに頼めば、座席までコーヒーや軽食は配達してくれます。)駅で買ったHARIBO(ドイツのグミキャンデー)を食う・・車窓にはなだらかなドイツの平原や、教会を中心とした小さな街々・・日本でのあわただしい生活がうそのような至福のときと言ったらオーバーでしょうか。

ICEと共にいわゆる"特急"と位置づけられるのがIC(インターシティー)、EC(オイロシティー)です。ECは国を越えてフランスやオランダ、ベルギー、スイス、オーストリア、イタリア、チェコ、ハンガリー、ロシア方面へも走ります。IC網は多様ですが、それを補填するようにIR(インターレギオ・・都市間急行)があります。ECは国際特急ですから、さまざまな国の客車がつながれていたりして、見ていても楽しいものです。おもしろいことにICやECもちろんICEにはそれぞれ名前がついています。我々音楽を楽しむものにとって興味深い名前を上げればJohanes Brahms号はミュンヘンと彼の生地、ハンブルクを結ぶICE、Johann Sebastian Bach号は旧東ドイツのドレスデンから彼がオルガニストだったトーマス教会のあるライプチヒを経てライン河畔を走りコブレンツまで行くIC、Frants List号はブダペスト(ハンガリー)からウィーン、ミュンヘン、フランクフルトを経てパリまで走るECといった具合です。それぞれその名前の人の縁の地が出発点だったり、経路だったりします。日本でいえば寝台特急"西郷隆盛"号、東京発西鹿児島行き・・といったところですが、これではなんとなく冴えませんね。

居ながらにしてDBAGを楽しむ

どんなにドイツの鉄道が好きでも薄給のサラリーマンの私たちにとってそうたびたび鉄道に乗るためだけにドイツへ行くことはできません。それでも最近はドイツ鉄道を紹介したテレビ番組やビデオも日本で紹介されるようになってきました。それにも飽き足らなくなった僕はついに少年時代には高くて手を出せなかった"鉄道模型"にまで手を染めることになってしまいました。幸いにしてドイツでは鉄道模型は家族そろって楽しむ遊びとして市民権を得ていますから、ドイツ製の模型は数多く発売されていて日本でも手に入れることができます。ただし、その価格は本国で買うのと比べて2倍から3倍。機関車1両が1万5千円から3万円くらい、モーターのついていない客車でも4千円から8千円くらいはします。こうなるともう蟻地獄のようなもの、大枚をはたいて貯めた機関車が25両あまり、客車が70両あまりになりました。もちろんICEもその中にあります。模型は飾っているだけではおもしろくないもので、やはり動かしたくなるものです。博物館にあるようなレイアウトは作れるはずもありませんから、部屋の片隅に幅3メートル奥行き60センチほどのスペースを確保してその中に車庫や駅や小さな街を作ってしまいました。結婚する前に作ったのが幸いして、結婚するときカミさんに頼んでこのレイアウトだけは残してもらうことができました。既成事実というやつです。3年前の大震災のときも、もちろん大被害を受けましたが、部屋の復旧の中で最優先したのはこのレイアウトでした。こうなると彼女はあきれるばかりで、以前は線路にゴミがたまって汚いとか、掃除が面倒だとか、文句を言っていましたが、最近ではあきらめたのか、何も言わなくなりました。しかし、やはり本物にはかなわないので、小金がたまったらドイツに行きます。今年の年末も時間を作って行くことにしました。あまり僕がうるさく言うのでボイスフィールドのメンバーが10人ほど(うち女の子も3人)ついてくることになりました。あまり"鉄"ばかりでは申し訳ないので、一応「鉄道とワインとビールの旅」ということにしましたが、実は"鉄"が7割、酒が3割です。(これはないしょ)

シュトゥットガルト中央駅
一世を風靡した名機103機関車の前で

松原先生は「西牧君はよく懲りずにドイツにばかり行くねぇ」とおっしゃいますが、"あばたもえくぼ"というやつです。最後に音楽と鉄道はあながち離れた関係にはないように思います。鉄道ファンだったドヴォルザークは寒い日にプラハの駅で汽車を見ていて肺炎で亡くなってしまいましたし、柴田南雄先生のお宅の地下には知る人ぞ知る大レイアウトがあるそうです。オネゲルはパシフィック231という蒸気機関車が走る様子を音楽作品にしています。

鉄道なんてそれを趣味にしている人以外にとっては単なる移動の手段なのかもしれません。そう考えれば、僕が書いてきたいろんなことはひょとすると紙の無駄遣いだったかもしれないなぁ・・と思います。ここまで懲りずに読んでくださった方々にはただただその忍耐に感謝します。でも、人々が産んできたドラマには少なからず鉄道が登場しますし、名画の中にもそれは見ることはできます。そう考えれば鉄道はいつまでも人々のロマンを乗せて走っているんじゃないかな・・と思ったりもします。

リニアモーターカーが走る時代になっても、レールを刻む車輪の音が、音楽のリズムのようにいつまでも人々の心の中に刻んでいてほしいと思っています。

31. Okt. 1997 西牧 潤